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広島高等裁判所 昭和37年(う)280号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書(補充分を含む)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

論旨第一点(理由不備の主張)について。

原判決によれば、本件事故に対する被告人の過失は、要するに、被告人が原判示バスを運転中原判示畑下本停留所手前約二〇〇米付近でブレーキテストをした後間もなく、右バスの右側後車輪に巻きつけてあった滑り止め用の鎖が切れてその先端が車体を叩き始めたため異常音が聞えるようになり且つこれに気づいた乗客からも注意を受けたので、直ちに停車して右異常音の原因を調査すべきであったにかかわらず、これを怠ってそのまま運転を継続した点にある、というにあるが、以上の判断は「異常音が聞えるようになり且つこれに気づいた乗客からも注意を受けた」との地点が「直ちに停車して右異常音の原因を調査」できる地点であったことを前提とするものでなければならない。しかるに、原判決の判文自体によっては勿論、原判決挙示の証拠によっても「異常音が聞えるようになり且つこれに気づいた乗客からも注意を受けた」とする地点が果していずれの地点にあたるか明らかでなく、したがってまたその地点が「直ちに停車して右異常音の原因を調査」できる地点であったかどうかも全く不明である。結局原判決にはこの点で理由不備の違法があり破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、爾余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条一項・第三七八条四号に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い直ちに判決する。

本件公訴事実は別紙被告人に対する昭和三四年一二月二四日付起訴状記載公訴事実写のとおりである。

右公訴事実によれば、本件事故に対する被告人の過失は、被告人が、(一)出発前の点検に際し不注意のため右側後車輪に巻きつけてあった鎖が磨滅して切断寸前の状態にあったのに気がつかなかったこと、(二)右鎖が切断してその先端が車体を叩き始めたため、その異常音に気づいた乗客から注意を受けたにかかわらず、直ちに停車して右異常音の原因を調査しなかったこと、(三)その後カーブに差しかかりオイルブレーキを踏んだ際その機能が失われているのに気づいたので、路面と高低差の少い田圃などに乗入れ、できるだけ衝撃が少くなるような方法で停車すべきであったにかかわらず、片手でサイドブレーキを片手でハンドルを各操作するといった中途半端な措置を採ったことにある、というのである。

しかし、起訴状記載のバスの右側後車輪に巻きつけてあった鎖が磨滅のため切断寸前の状態にあったことを認むべき証拠は何もない。しかも、≪証拠省略≫によれば、鎖の切断は只に磨耗の甚しい場合のみに限らず、材質の不良あるいは路面の不良または路面と速度との関係等に影響されて起り得るもので、その原因は必ずしも一様でないことが認められるところ、本件ではそのいずれの原因によったものかも明らかでない。したがって、前記(一)の点で被告人に過失があるとはいえない。また、原判決挙示の各証拠に≪証拠省略≫を合わせ考察すれば、乗客の注告等にもより被告人が前記(二)の異常音に気づいたのは本件事故発生地点から五〇米余手前付近で、しかもこれに次いで直ちにフートブレーキを踏んだ際には既に右側後車輪の切断した鎖の先端が右ブレーキのパイプに巻きついてこれを折損しフートブレーキの機能を失っていたことと同地点付近の勾配とのために最早バスを停車させることができない状態にあったことが認められる(仮に、被告人の異常音に気づいた時機が右の認定より以前であったとしても、前記のように切断した鎖の先端がパイプを折損しフートブレーキの機能を失う可能性あることを予見することは不可能であったと認められる。)。したがって、前記(二)の点でも被告人に過失があるとはいえない。さらに、被告人は前記のようにフートブレーキの機能が失われていることに気づいてのち、起訴状記載のとおり片手でサイドブレーキを片手でハンドルを各操作したことが記録上認められるが、≪証拠省略≫によれば、右措置はその際の状況に照らし自動車運転者として最も妥当なもので、しかも検察官主張の田圃などに乗入れることは地形上却って危険を伴うものであったことすら認められる。したがって、前記(三)の点でも被告人に過失があるとはいえない。してみれば、起訴状記載の本位的訴因については結局犯罪の証明がないものといわなければならない。

次に昭和四〇年三月八日付請求書記載の予備的訴因について判断するに、同訴因は「右後車輪の鎖が切れてその先端が車体を叩く状況にあるときは、自動車運転者たるものは経験上これを体感し得る」ことを前提とするものであるところ、≪証拠省略≫によれば、自動車運転者がかかる状況を体感し得るか否かは車内の騒音等その際の条件の如何によって異なることが認められ、このことに記録上認められる本件バス内の乗客の混雑さ加減やこれに伴う騒音等の諸条件を合わせ考察すると、被告人は右側後車輪に巻きつけてあった鎖が前記のように切断してその先端が車体を叩く状況を体感によって覚知し得なかったものと認めるのが相当である(仮に、体感によって右状況を覚知し得たとしても、切断した鎖の先端がフートブレーキの機能を喪失させる可能性あることまでは予見できなかったと認むべきこと前段のとおりである。)。したがって、前記予備的訴因はその前提を欠き、これまた結局犯罪の証明がないことに帰するものといわなければならない。

よって、刑事訴訟法第三三六条後段に則り、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺雄 裁判官 高橋文恵 高橋正男)

〈以下省略〉

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